いくつになっても末っ子気質

思ったことをつらつらと 三十路真っ只中主婦のエッセイ 

コロナ禍での妊娠出産体験記

昨年12月に妊娠が発覚し、年が明けてのコロナ騒動。

出来る限り外に出ない、人と接しないという日々が始まった。

友達とご飯を食べに行く

美味しいものを食べ歩く

夫婦2人のうちに沢山出掛けておく

そんなような思い描いていた自由気ままなマタニティライフは、音を立てて崩れ落ちたのである。

 

コロナ騒動に陥ってからの産院は、基本的に中に入れるのは本人のみになった。

それまで待合室には夫と思しき人の姿もちらほら見かけたがそれも皆無となり、送り迎えの人は外で待つこととなった。

 

産院で催される各種教室や区役所主宰の両親学級、人が集まるものは全て中止となった。

 

いよいよ迎えた出産当日。

 

陣痛の間隔が短くなったので産院へ向かう。

夫に車で送ってもらったが、中に入れるのは妊婦であるわたしのみ。

外まで迎えにきてくれた助産師さんが荷物を持ってくれてマスクを着用し中に入った。

内診の結果そのまま入院となった為、車で待機していた夫はそのまま帰宅し、わたしからの連絡待ちとなった。

陣痛室というところで横たわり、最初のうちは携帯をいじる余裕もあったがそれも束の間。そして孤独な戦いが始まったのである。

 

初めての出産ということもあり、やはり1人では不安だった。

が、基本的には助産師さんがそばにいてくれてずっと励ましてくれていた。

それがどんなに力になったかは計り知れない。

 

満を持して分娩台へと向かう。

 

陣痛室でも分娩台の上でも、マスクは着用したままだった。

外したいと言えば外せたのだろうか。

助産師さんはマスク+フェイスガード。

実にコロナ禍っぽい出立である。

 

そんな小っ恥ずかしいこと出来るか!と辞退していたが、立ち合い出産が出来なくなった為リモート立ち合いが出来るようになっていた。そう、テレビ電話だかなんだかで分娩台から親族と繋がれるというのだ。いわゆる生中継である。

 

そして無事出産。

スマホ貸して!写真撮っておくからね!

と、助産師さんがスマホを持って我が子と別室に向かった。

その後綺麗にしてもらった我が子を胸に抱き、その姿も撮影してくれた。

後に写真を見返してみると、時計を背景にしたものや体重計に乗ったもの、胸囲を測ってもらっている姿等、余すことなくばしばし撮影してくれてあった。

これは夫では出来なかったことだと思う。助産師さん本当にありがとう。

 

そして始まった入院生活。

完全個室の産院だったが、基本はマスク着用。

通常なら他のママさんたちとの交流の場としてみんなでご飯を食べる機会もあるっぽいがそれも無し。入院中のお見舞いは夫のみが許された。

このことに関して、各方面の女性陣から“良かったね!”と声を掛けられた。

産後の体で色んな訪問者、特に義両親の対応をするのは酷く消耗することらしい。

 

経験者の皆さまからは大変だったねと声を掛けてもらったが、初めての出産だったが故に通常時との比較が出来なかったのが幸いしたと思う。

 

声を大にして言いたい。

助産師さんありがとうございました!