いくつになっても末っ子気質

思ったことをつらつらと 三十路真っ只中主婦のエッセイ 

気分が乗らないまま作ったご飯の悲劇

美味しいご飯を作れる時は、事前に脳内で手順と味が完成している。味見しなくてもちゃんと美味しく仕上がる。それはもう宇随天元様の譜面が完成したかの如く。

 

しかし、気分が乗らない時はどうにもまとまらない。

とりあえず取り掛かるまでにうだうだして時間がかかる。

まとまらないままとりあえず調理を開始してみるものの、脳内がぐちゃぐちゃなままなので調理もぐちゃぐちゃ。

 

今日がまさにそれで、やはり出来上がったものは酷くしょっぱく体が拒否するようなものを作り上げてしまっていた。

 

今日の敗因は二つ。

ナスを使ってしまいたかったことと、使用する調理器具を最小限に留めたかったこと。

 

目指す完成形は和えそうめん的なものだった。

フライパンでナスとツナとニラを生姜とにんにくで炒め、鶏がらスープの素と醤油で濃い目に味付け。ここまではまだよかった。

 

通常そうめんは鍋で茹でてお湯を切り水で洗ってしめる。それにはフライパンに加えて鍋とザルも洗わねばいけなくなる。それがどうにも面倒臭かった。そこでやってしまった失態こそが大いなる敗因だった。

 

洗い物を減らすべく取った行動は、具を炒めたフライパンでそうめんを茹でるということだった。フライパンで少しのお湯で茹でれば水切りもいらない。パスタはワンパンで出来るじゃないか。その要領で出来るんじゃないかって思ってしまったわけだ。せめてフライパンをすすぐくらいのことをしていたら結果は変わっていたんじゃないか。後にこの行動を大きく後悔をすることになるとはこの時は思っていなかった。

 

茹で上がったそうめんを洗うこともなく、そのまま炒めておいた具を軽く混ぜる。上にキムチをのせれば見た目も鮮やか。麺をほぐすための薄いめんつゆも用意した。よし完成!

 

いざ実食。

 

なんだこれ、しょっぱくて気持ち悪い。おえ。

 

そうめんに味付けなんてしていないのにそうめん自体がやけにしょっぱい。

まさか使いまわしたフライパンについていた調味料たちをこんなにも吸収するとは。

パスタでは起きない現象、そうめん恐るべし。

 

急がば回れとは調理にも使える言葉らしいことを今日思い知った。

教訓、そうめんは潔くたっぷりのお湯で茹でてザルにあけ水で洗ってから和えましょう。

 

どうしても気分が乗らない時は創作料理はするべきではない。使ってしまわなければいけない食材のことは忘れ、それこそ潔くインスタントものとか冷凍食品とかお惣菜とかテイクアウトとかに頼りましょう。結果そのほうが美味しいものを食べられるし心も軽くなれる。

 

毎日自炊している皆さま、本当にお疲れ様です。

お互い無理せず楽しながら美味しい食事を楽しみましょう。