いくつになっても末っ子気質

思ったことをつらつらと 三十路真っ只中主婦のエッセイ 

デブへの境界線

身長161cm  体重49.7kg  体脂肪率28.3%

 

これは、今朝のわたくし団子のスコアである。

世の中の人はこの数字をどう感じるだろうか。

 

わたしは自分自身を凄くデブだと思っている。

希望体重は46〜47kg、しかしそこにいけるような努力はしていない。

それを証拠に、お昼ご飯としてつい先ほど緑のたぬき(大盛り)と温泉まんじゅうとピーナツおかきを平らげた。その総カロリーは軽く1000kcalを超える。

 

しかしである。

人からは“団子は痩せてる、団子は細い”と言われてしまう。非常に意に反している。

一応言っておくが、これは自慢の記事では断じてない。デブと痩せの境界線はどこにあるのかということである。

 

先に申し上げた通り、わたしは自分を大いにデブだと思っている。

そして理想体重はどこから算出されたかと言えば、一番やりたい放題だった20代前半頃の体重がそれだったのだ。あの頃の自分は痩せていた。体型に自信があった。足をウリにしていたのでいつだってニーハイにヒールだった。いっぱい食べてお腹が出たって一晩寝れば元通りだった。

 

それが今はどうだろう。食べた分だけ腹は出て、何日眠っていようが元には戻らず、妊婦さんもびっくりのでかい腹のまま。ニーハイなんて履いてみようものなら肉が乗る。腕にも背中にも肉がつき、だらしない体そのものである。

 

元々の自分は太ることを恐れていた。カーヴィダンス、ビリー、フラフープ、ジョギング。最近ではヨガとフィットボクシング。買い物は歩き、5キロくらいの道のりなら自転車。出来るだけ体を動かすようにはしている。

 

つまり何を言いたいかと言えば、要は自分がどう感じているか、これに尽きるんではないかと言うことだ。

 

冒頭の数字を思い出して頂きたい。

この数字のモデルさんがいたらデブと言われるだろうし、女相撲の練習場所に行けばガリガリかもしれない。

 

ついでに言ってしまえば、ぽっちゃりなんて言葉は優しさから生まれたもので、太っていることに変わりはない。ぽっちゃりとデブの境界線、それは清潔感の有無。これであると個人的には思っている。日本人て優しいわね。

 

人がどう言ってくれようと自分は太っているし、逆に人からなんと言われようと自分がなんとも思ってなければそれはデブではないのだ。

 

美をウリにしている芸能人はほんとに凄いと思う。お金も時間もかけて努力もして、だから綺麗でいられる。それが仕事だとしても、プロ根性には頭が下がる。

 

だからこそ警鐘を鳴らしたい。

一般人に出来る芸当じゃないんだよ〜、と。彼女たちは美しい。しかし憧れすぎるのは危険だ。あくまで観賞用、そう割り切ってもいいではないか。

 

一時期45kgを切っていたことがある。母に言わせれば、その頃のわたしはギスギスしていてとても嫌な女だったし、何より病的だったという。そう、痩せていればいいということではない。心と体のバランスが重要なのだ。今の自分は太ってはいるが心と体のバランスはとれているように思う。美は内側からとはよく言ったものだ。

 

そりゃ女ですもの、いくつになって綺麗でいたい。

ならば綺麗とは何か?それは精神的に満たされていることが内面から滲み出ていることではないか。痩せていてもマイナスなことばかり言っていれば満たされることはないだろうし、太っていても幸せが溢れ出している人はたくさんいる。そう考えたら体型はさして重要じゃないように思えてきた。

 

これからは体型だけにとらわれず、心と体のバランスがとれているかということにも気をつけていこうと思う。